福岡・親不孝通りのマリアクラブ
この頃はまだビーム球ばかりだった。エルコンドルの縦横の線から始まったビーム球は、ここで最高のピークを迎えた。
こんな大きな造り物は、ほかに無い。写真を見ればびっくりすると思う。三階か四階ぶんの吹き抜けの天井から、あんなに大きなものが降りてきて、ビーム球ががんがん回っている。当時の時代としては、すごいものがあった。
親不孝通りにはその前からディスコがあって、それもなかなかの規模だった。それにしても、こんな大きなビルごとディスコを作るとは夢にも思わなかった。でも頑張ってやった。素晴らしいディスコだった。
とにかくビーム球と、ミラーのムービング。写真を見ていただければ、本当にその通りだ。
作った中で最大の箱
自分が作ったディスコの中では、この親不孝通りのマリアクラブが最大規模になる。その次が 沖縄・那覇タワーの ZAVARES だ。
東京にはもっと大きいところがあって、ニューヨーク・ニューヨーク、ラジオシティと、ずいぶんたくさん作った。大阪のラジオシティはこれと同じくらいの規模だった。それでもマリアクラブが一番だったことは間違いないと思う。
バブル全盛の頃だった。
ここにも ZAVARES と同じように、演出用のキーボードを入れた覚えがある。
この時代の照明制御については 歌舞伎町ディスコ史と電光ニュースの時代 に詳しく書いた。
現場・写真集1 DISCO MARIA-CLUB