沖縄のディスコ ― こぼれ話
当時の沖縄には、大きなディスコが何軒もあった。
最初に呼ばれたのは、那覇の松山にある大きなビル。たしかスクランブルという名前だった。ユーミンのステージでやった床電飾の装置を見て、「同じものを」という話だった。
次が金武(きん)。コザよりもっと北、ずいぶん上の方だ。米兵がよく来るクラブの近くにあるディスコで、店に入って目を丸くした。映画でしか見たことのないようなカウンターがあって、ポールダンスをするような店。そこにも装置を入れさせてもらった。
コザにもマハラジャ系のディスコを作ったが、この時は自分は現地へ行っていない。
松山のその箱は、ずいぶん大きなものだった。(スクランブルは那覇市松山一丁目、松下興商ビルの三階。のちにネプチューンクラブと名前が変わったらしい)
那覇タワーの ZAVARES
そのあとが、この ZAVARES。那覇タワーの七階にあった。
DJのまことさんとは、ずいぶん仲良くなった。沖縄出身の方で、とてもいい方だった。地元のステーキ屋を紹介してもらったりもした。
家族で沖縄旅行に行ったとき、下の子がまだ二歳の頃、みんなでこの店を見に行った。お店の方は気持ちよく迎えてくれた。あれはよく覚えている。
那覇タワーというビルも、もう無いのだろうか。その後ゴルフで沖縄を回ったときには、ZAVARES のビルは無かった気がする。
パソコンのキーを叩くのをやめて、鍵盤を付けた
写真に写っているとおり、この頃の卓には鍵盤が付いている。演出を鍵盤で動かしていた。
もともとは、パソコンのキーボードを弾き語るように叩いて演出を出していた。それが面倒になって、いっそ本物の鍵盤を付けてしまえ、ということになった。
ライティングショーをやる以上、曲に合わせてきっかけで動かさなければならない。昔はタッチパネルでやっていたが、現場では鍵盤のほうが具合が良かった。この頃はパソコンと鍵盤、という組み合わせで操作していた。
この頃の話は 歌舞伎町ディスコ史と電光ニュースの時代 に詳しく書いた。ビーム光の縦横のラインを組んだ話もそちらにある。床電飾のほうは 1983年 コンサート会場の蛍光灯制御 に。
現場・写真集2 DISCO ZAVARES