銀座・三愛の隣に建てた
銀座、三愛の隣のビルに、フジテレビ協賛の電光ニュースを作ったことがある。写真のとおり「産經新聞ニュース」の文字が出ていて、フジテレビのマークも付いている。
漢字が出る電光ニュースとしては、かなり早い時期のものだったはずだ。制作には NEC の PC-9800 を使った。
三愛のビルの屋上には、プロレス中継にも映ったことがある「色が変わる頂部」もあった。昔はネオンで、後に蛍光灯の自動調光に変わっている。
ここは縦の一列で流している
京都のものや TBS の可搬型、YMO の現場では横に流していたが、ここは縦の一列で流している。和文はダブル、つまり横二列ぶんの幅を取っている。
止まっていると結構明るく見えるのだが、流れると横の線がもっと細く見える。電球には宿命があって、点くのは速いが消えるのが遅い。残光が残る。だから横スクロールをやると縦の線だけが薄く尾を引き、縦に流すと今度は横棒が残る番になる。
後に NEC のパソコンと C 言語で表示ロジックを書き直したとき、横棒を二列化して、基本 16×16、最大 16×24 までの可変長文字を全部作り直した。その文字づくりは、妻と二人でマークシートに丸を塗って進めた。足りない文字は現場のオペレーターが追加で作れる仕組みも、外注で C 言語に組んでもらった。
受け側にコンピューターが無い ― シフトレジスタ2,560回路
もう一つ、富士通 FM-8(1981年5月発表、CPU は 6809×2、バブルメモリとオプションの漢字 ROM ― JIS 第1水準 2,965 字を積んだ機種)で漢字を編集・送出する電光ニュースも手がけた。受け側にはコンピューターが一切無い。シフトレジスタとトライアックの山だけで文字を表示していた。1 文字あたり 256 回路、10 文字並べれば 2,560 回路になる。
この FM-8 の電光ニュース、最初に使ったのは坂本龍一(YMO)のコンサートだった。『ザ・ベストテン』では小泉今日子さんの中継で使われたこともある。
同じ FM-8 のシステムは京都でも使った。16×16 の電球ユニットがビルをぐるっと一周する規模だった。メモリボードはハンダ付けではなくワイヤラッピングで、友人に製作を頼んだが間に合わず、新幹線の車中でもラッピング作業を続けてもらったことがある。
こぼれ話 ― エイプリルフールに「コンピューターが燃えます」
銀座の電光ニュースを NEC PC-9800 + C 言語で書き直した時、使ったのは当時ライフボート社が扱っていた日本語対応版の「Lattice C(ラティスC)」だった。これがかなり厄介なコンパイラで、手を焼いた記憶がある。
電光ニュース本体は電球式なので赤くはならないが、編集用の PC-98 の画面のほうは別だった。毎年 4 月 1 日になると決まって「コンピューターが燃えます」という警告で画面が真っ赤になる。おそらくラティス C 側に仕込まれたエイプリルフールのジョークだったのだろうが、消す方法はついに教えてもらえなかった気がする。
その度にオペレーターが大慌てで電話をかけてきたが、お客さんもそれはそれで納得して使い続けてくれた。毎年恒例の、なんとも不思議な時代だった。ちょうど日本で C 言語コンパイラが日本語対応を始めたばかりの時期で、今にして思えば、その黎明期らしい話でもある。
その後
ページ上部の「現在はサーバーが立ち上がり…」は当時のままの記述で、その電球式の電光ニュースは、十数年前に撤去した。場所は三愛ビルの隣だった。
今にして思えば、もう可変長文字も、電球の電光ニュースそのものも要らない。LED スクリーンと UE5 で、あの頃には考えられなかった細かい映像が出せる時代になったからだ。技術そのものへの未練はない。
この時代のことは 歌舞伎町ディスコ史と電光ニュースの時代 に通しで書いた。年表もそちらにある。
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